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コラム

スペイン映画界の鬼才が挑んだ、
アメリカを震撼させた事件とは?

くれい響(映画評論家)

ニコール・キッドマン主演の『アザーズ』で一躍ハリウッドを震撼させ、尊厳死を求めて闘う主人公を描いた『海を飛ぶ夢』でアカデミー外国語映画賞受賞した、スペイン映画界の鬼才・アレハンドロ・アメナーバル監督が還ってきた! しかも、女性天文学者・ヒュパティアを描いた前作『アレクサンドリア』から7年余り、長編6作目となる本作『リグレッション』はデビュー作『テシス/次に私が殺される』以来、監督十八番でもあるミステリー・サスペンス。それだけに、スペイン時代から彼を知る映画ファンなら、待ちに待った新作といえるだろう。  先の『アザーズ』ではアルフレッド・ヒッチコック監督作を中心に、1940年代から60年代のクラシック・サスペンスのテイストを全面に打ち出していたアメナーバル監督だが、本作で全面に打ち出されているのは、物静かなセリフ回しとどこか陰鬱な雰囲気。間違いなく『エクソシスト』や『ローズマリーの赤ちゃん』など、1960年代後半から70年代前半に流行したオカルト・ホラーのテイストである。その大きな役目を担っているのは、ダニエル・アラーニョによる撮影であり、かなりアナログ感を意識しているのが伺える(本作のアラーニョのテクニックが後に、ザヴィエ・ジャン監督のオカルト・ホラー『THE CRUCIFIXION(日本未公開)』に継続されるのも興味深い)。

 そんななか、本作が下敷きにしているのは、1980年~90年代にアメリカで起きた、“悪魔的儀式虐待=Satanic Ritual Abuse”にまつわる一連の事件である。その一例となるのが、83年にカリフォルニア州で起き、史上最悪の児童虐待事件とまで言われた「マクマーティン保育園裁判」。子供たちが悪魔崇拝者の儀式に供されて性的・肉体的に虐待されているという、園児の親の主張から始まった、この事件。やがて、精神医学教授による誘導尋問や園児たちの虚偽記憶が明らかになることで、史上最悪の冤罪事件として終結したが、一方でマスコミ報道により、幼い子を持つ親たちが保育園関係者に対する魔女狩りを起こし、モラル・パニックに発展した。これは仕事を持つ母親や共働きの家庭による反発、見知らぬ他人に自分の子を預ける罪悪感などから起こったものであったといわれるが、モラル・パニックは宗教に熱心な地域社会・コミュニティであればあるほど、強大になっていくともいえる。
その代表例といえるのが、93年にアーカンソー州で起こった「ウェスト・メンフィス3事件」。3人の男児を殺害したとして、十代の少年3人が有罪判決を受け、最終的に10年の執行猶予で釈放された、この事件。普段から変わり者扱いされていた彼らがヘヴィメタルやブラックメタルの音楽を好んでいたことで、悪魔崇拝により儀式を行ったという噂も強まり、モラル・パニックを引き起こした冤罪事件という見解もある。後に、心理セラピストの退行催眠療法によって作られた虚偽記憶の可能性など、科学的実証から悪魔的儀式虐待にまつわる事件は激減するが、前者はミック・ジャクソン監督によるTVムービー『誘導尋問』として、後者はアトム・エゴヤン監督作『デビルズ・ノット』として劇映画としても映像化されるように、当時のアメリカ社会を語るうえでは象徴的な事件といえるだろう。

場面写真

 そんな“アメリカ社会が生んだ闇”を踏まえ、90年のミネソタ州を舞台に“退行(REGRESSION)”が原題である本作を観ると、さらに虚実が入り乱れ、先の展開が読めないアメナーバル監督作を楽しめ、イーサン・ホーク演じる主人公・ブルース同様、ミイラ取りがミイラに状態になっていくだろう。そんななか、デヴォン・ボスティック演じるアンジェラの兄・ロイがキーパーソンになっているところに注目したい。彼が劇中で受ける心の痛みは、同時に自身もLGBTである監督の心の叫びといえるかもしれないからだ。ちなみに、本作の製作中に同性婚をした監督は、次回作では30年代、第二共和政期のスペインで勃発した軍事クーデターによる内戦を描く歴史大作という新たなステージに挑んでいる。

リグレッション